2024年11月25日月曜日

自分史プログラマー編その7

 今日は、2006〜2011、第二次NEC子会社時代勤務での話を書いてみようと思います。

  • 1979年:東芝府中工場で電力・鉄鋼・原子力の制御をPL-40・TPLで約8年
  • 1988年:リコーの子会社で販売管理をOS/2でCOBOL/2を約3年
  • 1991年:NECの子会社で通信系をUNIXでC言語を約12年
  • 2004年:NSW(渋谷)でクレジット系をWIN-XPでVB.NETを約2年
  • 2006年:NECの子会社にてWINDOWS-XPでVB2005とPerlを約5年
  • 2011年:プログラマーから警備員に転職(^^;;

2005年の後半から、父(当時83歳)の介護が必要になり、それが原因で会社を休みがちになり、ついに2005年末にNSWから契約解除を言い渡されました。 


2006年の初頭に父が亡くなって、私も無職なる寸前に、前に働いていたNEC子会社で私と一緒にシステム開発した当時主任の上司の方から、仕事を手伝ってほしいと連絡があり、また、NEC子会社で働けることになりました。

 

当時主任の上司ですが、本部長代理なっていて、その年の四月に本部長になってしまったのです。NEC子会社の本部長なので、この人が本部長でいた5年間をここで働くことができました(^o^)

 

仕事は、皮肉にも、かつて私が開発したシステムを置き換えたシステムの、私のリストラの原因になった、故障情報通報のEメールディスパッチシステムメンテナンスでした。

 

前システムはC言語でしたが、この五年間はPerlがメインで、あとEXCELのVBAも結構やりました。この五年間は、ある意味、インターネットをしに会社に行っていたと言っても過言ではありませんでした(^^;;


そんなこんなで、本部長さんが関連会社に左遷されたとほぼ同時に、私もこの会社から2度目のリストラに会いました。左遷された後に来た新本部長さんが私より何歳も若かった・・・


このリストラは、派遣でのNEC子会社だけでなく、所属している某ソフト会社からもリストラされました。時代も2008年からのリーマンショックや世界的な景気後退の影響を受け、日本景気は大幅に悪化していました。

 
 
そして、ハローワークに通う日々が訪れます。ハローワークではソフト系の会社に履歴書を何通も出しても、面接すらしていただけません。当時55歳のプログラマーでは無理だったようです。 履歴書提出先のソフト系会社の社長は皆30〜40代なので・・・

 

ということで、警備員時代がやってきます。


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