今日は、2004〜2006年、 渋谷NSW会社時代勤務での話を書いてみようと思います。
- 1979年:東芝府中工場で電力・鉄鋼・原子力の制御をPL-40・TPLで約8年
- 1988年:リコーの子会社で販売管理をOS/2でCOBOL/2を約3年
- 1991年:NECの子会社で通信系をUNIXでC言語を約12年
- 2004年:NSW(渋谷)でクレジット系をWIN-XPでVB.NETを約2年
- 2006年:NECの子会社にてWINDOWS-XPでVB2005とPerlを約5年
- 2011年:プログラマーから警備員に転職(^^;;
NECの子会社の派遣をリストラされた私は、東大卒の先輩が行っている、渋谷のNSWという金融系のソフト会社に派遣されることになりました。
仕事はWINDOWS上のVB6(ビジュアルベーシックバージョン6)で構築したシステムをVB .NETに置き換える仕事でした。
当時、今までのVBとは違う概念のVB .NETだったので、意外と苦戦して、毎日、夜中の12時過ぎの京王線で渋谷から帰る毎日でした。しかし、その時間でも超満員なので世の中どうなっているのと思った記憶があります。
あと、NSWにオフコンがあったのですが、担当者が、故障した時にNECへALIVE自動通報すると説明があった時、ALIVEは私が開発したと言ったら、驚いていました(^o^)
VB .NETへ置き換えの仕事が終わった後は、某ファイナンスのクレジットシステムの開発チームに入りました。このシステム開発は、すでに泥沼化していて、毎日、不毛なシステム開発をしていましたが、某ファイナンスが突然に開発中止ということで、まさに青天の霹靂でした。
開発者としては、今までの努力は何んだたんだとか、不毛のシステムから逃れられるとか、複雑な感情を抱いた記憶があります。某ファイナンスとしては、今まで何億も注ぎ込んでいるのに、よく開発中止に出来るもんだと思ったものです。
2005年の後半から、父(当時83歳)の介護が必要になり、それが原因で会社を休みがちになり、ついに2005年末にNSWから契約解除を言い渡されました。
2006年初頭に父が亡くなって、私も無職なる寸前に、偶然にもNEC子会社で私と一緒にシステム開発した当時主任の上司の方から、仕事を手伝ってほしいと連絡があり、また、NEC子会社で働けることになりました。(神様仏様は、いるのかもしれないと思った瞬間でした)
ということで、以上こんな感じで、次は、第二次NEC子会社時代へ続きます。
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