2024年11月21日木曜日

自分史プログラマー編その3

 今日は、東芝府中工場時代を書いてみようと思います。

  • 1979年:東芝府中工場で電力・鉄鋼・原子力の制御をPL-40・TPLで約8年
  • 1988年:リコーの子会社で販売管理をOS/2でCOBOL/2を約3年
  • 1991年:NECの子会社で通信系をUNIXでC言語を約12年
  • 2004年:NSW(渋谷)でクレジット系をWIN-XPでVB.NETを約2年
  • 2006年:NECの子会社にてWINDOWS-XPでVB2005とPerlを約5年
  • 2011年:プログラマーから警備員に転職(^^;;

大学を一浪一留で卒業して、某ソフト会社(後に倒産して東芝子会社に入る)に入り、勤務は東芝府中工場でした。

 

始めは、東北電力、エジプトスキャダ、中部電力飯田のシステム開発でしたが新人で経験不足で 、正直内容を理解できなかったです。

 

次は、原子力ですが、川崎の浮島に実は原子炉がありまして、そこでフォートランで研究員の人たちの補助的なプログラムを書いていました。

 

最後は、鉄鋼ですが、この頃は大部プログラミングの腕も上がって、新日鉄(北九州)、日本鋼管(福山)、吾嬬製鋼(仙台)に何か月も出張に行っていました。

 

各鉄鋼所では、高炉、厚板、コイルなどを精製する制御プログラムを書いていました。今の時代、 新日鉄は日本製鉄、日本鋼管と吾嬬製鋼はJFEスチール(株)になったようですね。

 

とにかく、工場でも出張先でも、とんでもない残業時間を叩き出していました。ある意味、奴隷のようでした(^^;

 

そういう時代だったのだと思います。 という事で、次回はリコー時代へ

 

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