2024年11月23日土曜日

自分史プログラマー編その5

 今日は、1991~2004NEC子会社時代勤務での話を書いてみようと思います。

  • 1979年:東芝府中工場で電力・鉄鋼・原子力の制御をPL-40・TPLで約8年
  • 1988年:リコーの子会社で販売管理をOS/2でCOBOL/2を約3年
  • 1991年:NECの子会社で通信系をUNIXでC言語を約12年
  • 2004年:NSW(渋谷)でクレジット系をWIN-XPでVB.NETを約2年
  • 2006年:NECの子会社にてWINDOWS-XPでVB2005とPerlを約5年
  • 2011年:プログラマーから警備員に転職(^^;;

リコーに派遣で、販売管理システムのメンテナンスの仕事を新横浜でしていましたが、リコーは単価が安いとのことで、NECの子会社で働くことになりました。

 

NECの子会社と言っても、大きな会社で、NECが販売したすべてのコンピュータをメンテナンスする会社です。

 

NECのコンピュータには、個人向け以外、すべて故障情報自動通報機能が搭載されています。スパコン、汎用機、オフコン、サーバー、POS等が故障したら自動的に通報される機能です。

 

私が行く前は、そのすべての故障情報自動通報をオフコンで受けている基幹システムでした。それをUP4800というUNIXサーバーで受けるようにするのが仕事でした。

 

そう時代は、クローズドのオフコンからオープンのワークステーション時代になろうとしていたのです。ということで、このNEC子会社で12年間働くことになります。

 

で、私は、結果的に、ほぼ一人でその基幹システムをUNIX上に作ってしまったのです。その会社の基幹システムを構築したので、周りからは羨望の目で見られ大きな会議にもよく呼ばれ、ある意味増上慢になっていました。

 

しかし、時代はいつの間にかEメールの時代が来ていて、私のシステムの通信プロトコルが徐々にEメールに置き換わり、また、2000年ごろからの景気低迷が重なって、なんと、その会社から2004年にリストラされてしまったのです(ToT)

 

ということで、以上こんな感じで、次は、渋谷NSW時代へ続きます。


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